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November 30, 2006

ルシファーズ・ハンマー II

■ルシファーズ・ハンマー(=かあちゃんのゲンコツ説、赤丸急上昇中!!)
KR-TT改フレームにXR1000ベースのチューニング・エンジンを搭載し、1983−85年と3年連続でBOTTのタイトルを手中に収めたルシファーズ・ハンマーでしたが、86年は苦戦を強いられ宿敵ドカティ(パンタF-1系)にタイトルを奪われる事になります。
更なる戦闘力を求めHOGが接触したのは、ハーレーのレーシング部門出身で86年に[Buell]を旗揚げしたエリック・ビューエル氏。 
(続き)
話は1983年に遡りますが・・・・・ディック・オブライエン、ドン・ティリーらを中心に造られた最初のルシファーズ・ハンマーが走り始めたこの年に、レーシング・マシーンに独自の理論を持つエリック・ビューエル氏は、オリジナルの車体へヤマハTZ750の2stエンジンを搭載したプロトタイプ[RW750]を走らせています。
その実績を持って量産車のプロジェクト(確かホンダRS850のエンジンを積む計画)を掲げ、資金を募集します。
どうやらこれは計画のみで終わった??・・・結局ホンダ搭載のビューエルは制作されていないみたいですが、大きな注目を集めたこの発表により出資者が見つかり、そのスポンサーの意向もあって古巣ハーレー・ダビッドソンのエンジン供給を受ける方向に計画は修正、独自のオートバイ開発に着手します(エンジンの候補は幾つもあったと言われますが、どれもある程度の数量を揃える事が困難で、50基確保出来たのがたまたまXR1000エンジンだったらしいです)。
丁度この頃、ルシファーの改良についてHOGに意見を求められていたエリック氏は、2つの案件をひとまとめにしてしまいます。
そうやって生まれたのが87年のデイトナでデビューしたルシファーズ・ハンマーIIであり、同年発表された(ビューエル社にとって初の量産車となる)バトルツインRR1000とは、走るフィールドが違うとはいえ正しく兄弟車と言える内容です。
ボリューム満点のRR1000ですが、FRP製フェアリングの中にはRW750譲りのトラスフレームにハーレー・ダビッドソンXR1000エンジンが搭載されており、サスペンションはエンジン下にレイアウトされ、近年のビューエルにもその設計思想は受け継がれています。
なおXR1000のエンジン供給数には限りがあり、後に搭載エンジンをXLH1200に変更してRR1200となります。

1987年と言えばTZRにNSR、FZRにGSX-Rと国内ではレプリカ全盛の時代。
当時、雑誌が取り上げるこのビューエルを見ても「外車は変なのが多いよなぁ〜」ぐらいの印象しかなかった私です(苦笑)。

さて、BOTTに参戦するレーシング・マシーンとして、アメリカの期待を一身に背負う立場のルシファーズ・ハンマーですが、87年モデルより車体デザインにはエリック氏の意見が反映され、大幅な改修を受けます。
これがルシファーズ・ハンマーII
ラジアル化の波と共に急速進化するタイヤのグリップ力に既に負けていた車体は、KR-TTをルーツに持つ化石のようなダブルクレードル・フレームにようやく見切りを付けて刷新、ビューエルRR1000やドカティなどと同様のトラス・フレーム(バードゲージ・フレーム)となります。
リアのショックユニットはエンジン下にレイアウト、タイヤはダンロップに変更されました。
エンジンもチューニングが進み、この頃には112ps/8,000rpmを絞り出し、市販車に先駆けて5速ミッションを採用。

厳密にはレースごとに仕様が変更されるファクトリー・マシーンですが、ルシファーのタイプ-I と-II は、マフラーやエンジン下のオイルタンク位置で見分ける事が出来ます。
KRフレームのルシファーはダートトラックXR同様に長く突き出たハイパイプ2本出し(初期はスーパートラップ、後期には黒いメガホンマフラーもアリ)、IIではマフラーが極端に短くされ、サスペンションとの位置関係でオイルタンクがエンジン下前方に移っています。

大幅に戦闘力をアップさせた筈のルシファーズハンマーIIでしたが・・・・・対するドカティはエンジンを水冷4バルブとした新型851を投入し、元世界GP500ccクラスチャンピオン、マルコ・ルッキネリまで起用。
もはやレトロな空冷OHVが敵う相手では無くなっていました。。。。。
結局タイトルを獲得した85年シーズンの勝利を最後に、90年に参戦を休止するまでのあいだ一度も表彰台の真ん中に立つことも出来ず、BOTTの舞台を去る事となるのでした。
またルシファーズ・ハンマーの成績はアメリカで開催されるBOTTの観客動員数に大きく影響していたそうで、85年をピークにレースそのものが衰退して行きます。

その間も、もちろんルシファーも更なる改良を加えて行き、撤退する前には[3型]が走っていたという事ですが、これについてはまったく情報がありません。
また、先日ジャイアンさんに頂いた情報では[4型?]のプロジェクトもあったらしいです(スズキGSX-Rのシャシー+XRエンジン???)。

(追記)
90年でルシファーズ・ハンマーの参戦は中止され、根本的にエンジンから練り直したのが94年に登場したVR1000で、水冷DOHCの新開発エンジンをツインスパー・フレームに搭載。HOGが走らせましたがルシファーの名は付いていません。
しかし、まったく違う次元で戦闘力を向上し続け、スーパーバイク選手権でも大暴れのドカティにはまったく歯が立たず、時すでに遅しと言った感じでした(それどころかミゲル・デュハメル、クリス・カー、スコット・ラッセル、ダグ・チャンドラーと言ったそうそうたる顔ぶれを揃えてもレースを完走する事すら難しい状況でした)。
このVR1000もBOTTに参戦する以上は市販車ベースである必要があり、少数ながらでっかい丸ヘッドライトとミカン・ウインカー、メーター付近に強引にバッテリーを積んで公道モデルが販売されました(後にこの水冷DOHCエンジンはV-RODに採用)。




※ネコ・パブリッシングのムック本「Sportster」(1)には貴重なルシファーズ・ハンマーIIの写真と記事が掲載されています。

※現在販売されている「SportsterI&II」の内容については未確認です。

ほんの短い収録時間(10秒ぐらい)ですが、ジーン・チャーチが走らせるルシファーズハンマー(Iの後期型)の動画としては、86年デイトナのVHSテープが入手可能です。
メインの200マイルレース、エディ・ローソンのFZ750を中心にした構成ですが、クラシック・レースをレストアしたXR750TTで制するロジャー・リーマンや、そのリーマンがHDワークスで大活躍した昔の映像も登場。
BOTTは2台のドカティF-1と、モノコックフレームにコスワース製820ccパラレルツインを搭載したノートン・クァンテル・スポーツ(市販車エンジン?)がレースをリードする展開で、ジェームズ・アダモ(ドカティ)が転倒リタイヤした結果、優勝はマルコ・ルッキネリ(ドカティ)、2位にポール・ルイス(コスワース)、そして上位グループに大きく離されていたジーン・チャーチ(ルシファーズ・ハンマー)が繰り上げで3位という、ちょっと情けない内容で、解説者にもその戦闘力の差を指摘されていましたorz
他にもFZ750で出場するジェイ・スプリングスティーン、ヨシムラGSX-Rは辻本聡にケビン・シュワンツ、ホンダVFRのウエイン・レイニー、スコールバンデット・スズキも懐かしいコーク・バリントンなどなど、そして今となってはむしろファンには堪らないエピソード(?)フレディ・スペンサーは出場をドタキャンしています(爆)。更にデイトナ200の歴史映像では黄色のケニー・ロバーツまで、お宝満載とも言える映像ソフトです。


関連エントリー
●ルシファーズ・ハンマー (November 28, 2006)

  *悪魔のハンマー (November 28, 2006)
  *ビューエルXBRR (March 08, 2006)
Posted by xl1200 at 22:23│Comments(2)TrackBack(0)
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この記事へのコメント
エリックビューエルがHD本社の在庫を使い、50基のXRエンジンを
組み立ててしまったため、メンテナンス用の在庫パーツは一気になくなり、
XRの部品がバックオーダー状態になってしまったのは有名な話です。

Posted by ジャイアン at December 01, 2006 05:41
> ジャイアンさん!
83-84年の2年限定でトータル1,700〜1,800台程度しか生産されなかったと言われるXRのエンジンを、86年以降に50台も確保出来たのはやはりリペア用のストック・パーツだった訳ですね〜。
XRオーナーにはいい迷惑だった事でしょう!!
Posted by Gotaro@管理人 at December 01, 2006 13:54
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